華子の知らない世界  

歴史も都市伝説も大好きな華子のブログです。

飛鳥時代・万葉の女性達の装いとメイク事情

女性歌人の装い

女流歌人額田王

歌姫・額田王

カリスマ歌姫・額田王(ぬかたのおおきみ)です。

中大兄皇子なかのおおえのおうじと大海人皇子おおあまのおうじとのエピソードも有名です。

大海人との間には娘(十市皇女・とおちのひめみこ)も誕生しています。

出生を含め謎の多い額田王です。

言い伝えによりますと16歳頃、歌の才能を評価されて歌人となりました。

大海人が16歳で元服すると直ぐに彼女を妃にしています。

この時、額田王は19歳でした。

華やかさの強調

歌姫・額田王のヘアスタイルは独特です。

長く伸ばした髪をふわっとさせオデコを出し後ろ結び。

毛先をくるっと結び目に入れるシニヨンのアレンジ版です。

長くしなやかな黒髪が良しとされていました。

 

高松塚古墳の「飛鳥美人」画でも見られる様に

服装は、ゆったりしたデザインです。

 

 丈の長いカラフルなお色の上着と合わせたのは、ロングスカートの様なもの。

裾が広がったドレスと言って良いでしょう。

ストライプのこちらもカラフルなお色でした。

 

 赤・青・白・黄色の

このロングスカートの様なものは裳(も)と呼ばれ

肩にショールの様をはおります。

www.hanako-kaguzakka.com

この頃の日本では、色を表現する単語は限られていました。

もちろん、色そのものが無かったわけではありません。

白・黒・赤・青の4つのどれかに 当てはめられていたのです。

黄色は当時、赤の仲間として分類されています。

ですので呼び方も「黄」ではなく「アカ」「アカシ」でした。

上着はリボン結び。

ウエストにもベルトの様に布をあしらいリボンを。

彼女達が歩く度に、華やかだった事でしょう。

手には取手の長い扇の様な物を持っていました。

 

719年に衣服令が発令されると、衿の打ち合わせが今と同じ右を手前にする作法に定められました。

足元は、木製の固い靴を履いています。

 

 _________

お部屋に広がる明かりがロマンティク!飛鳥・万葉を想わせる素敵な夜を!

弥生時代の頃から大差ないものだった様です。 どの様なものかと言いますと、お色は白がほとんど。大きな一枚の布の中央に穴を空けて、そこに頭を通します。
 
現代のケープのイメージが近いものでした。 かぶったら腰の位置でベルトの様にヒモを結ぶ簡単なものでした。作りはとてもシンプルですが、機能的で動きやすいデザイン。
 
靴は履いていなかったとされています。
遣隋使のお土産 この頃、おしろい(白粉)や口紅(紅)などのメイク用品が日本にやって来ました。大陸から遣隋使が持ち帰った物達です。
 
これらの魅力的なメイク用品は、多くの女性達をトリコにした様です。 それまでの日本のメイクは縄文時代から古墳時代を経て広まりました。
 
赤色で模様を描く手法であり綺麗に見せる事が目的ではありませんでした。 遣隋使によってもたらされたメイク用品は女性達を飾ります。
 
それは、目や口元にお色を添えるだけでなくオデコなどに星型模様や花型模様を描く、唐(今の中国)の手法も大流行したと言います。
 
女性達は自分を綺麗に魅せるメイクを知ったのです。その後、遣唐使が廃止されると日本女性独自のメイクの文化が花開きます。
 
重要とされたのは現代で言うベースメイクです。女性達はおしろいを重ねて重ねて作りあげました。
 
女性達の服装はカラフルで華やかなものでした。服装に負けないメイクを施した女性達は、更に美しく輝いていた事でしょう。
 
 作りこんだヘアメイクとカラフルで色鮮やかな服装で美を表現したのです。 
 __________