華子の知らない世界  

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アメリカ帰りのジョン万次郎とロシア帰りの大黒屋光太夫

ジョン万次郎

ジョン万次郎

ジョン万次郎10年の経験を経てアメリカから帰国したのは1851年の事です。

カツオ漁に出た万次郎の船は、嵐で遭難し1週間ほど漂流しました。

流れ着いたのは太平洋の鳥島という無人島。

万次郎14歳の時の事です。

4.5ヶ月過ごしアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われました。

船長のホイットフィールドは、万次郎をとても気に入り親代わりとなってくれました。

アメリカでは、小学校に通い進学し成績優秀者としてクラスの主席まで務めています。

万次郎の仲間達はハワイで船を降りますが、彼は捕鯨船に残りそこでクルーの手伝いを始めます。

 

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ジョンマン

ジョン万次郎写真
そして乗組員達につけられたニックネームが「ジョンマン」です。

万次郎は、10年後帰国しますがそれはただの帰国ではなかったのです。

ホイットフィールド船長の捕鯨船が立ち寄れる基地を設置する事が目的でした。

彼は母との再会も果たします(良かった!)

万次郎は、生きたアメリカ社会を見てきた経験と英語力を認められ幕府で働きます。

使節団の一員として勝海舟や福沢諭吉と共に、アメリカに向かった事もあるのです!

努力の人みたいです。

世界地図

大黒屋光太夫

 一方、ロシアから帰国を果たした男性もいます。

彼は初めてロシアを見てきた日本人とも呼ばれます。

大黒屋光太夫がその人。

1782年、彼も嵐に遭遇し海を漂っていたところロシアに流れつきました。

31歳の時です。

そこで博物学者ラクスマンに助けられ、女王エカテリーナ2世に帰国の願いを訴えました。

覚えたてのロシア語で訴える彼らの話を聞いた女王は、涙を流し帰国を許可しました。

10年ぶりに帰国した光太夫一行は3名でした。

遭難した時は17名だったのです。

大黒屋光太夫

彼らが帰国した時に乗っていた船には、ラスクマンの息子であるアダムラスクマンも同乗しています。

日本との貿易交渉が目的でした。

3名のうち光太夫と磯吉は、江戸城で将軍家斉に目通りを許されますが彼らの経験が取り立てられる事はありませんでした。

 

ふたりはどちらの異国で10年の時を過ごし、帰国しました。

ですが大黒屋光太夫は、経験を生かす舞台には立てませんでした。

いっぽう、ジョン万次郎は幕府のスタッフとして表舞台で活躍します。

共通した出来事もあるのです。

光太夫は帰国後恩人である方に「船長にしてくださって有難うございました」と挨拶に向かい

万次郎も捕鯨船の船長ラクスマンに海を越えてお礼を伝えに行きます。

感動・・

 

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